奈良県御所市(ごせし)にある葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)へ参拝しました。
- 葛城一言主神社はどんな神社?
- 葛城之一言大神とは?
- 幼武尊とは?
- アクセス方法
- 蜘蛛塚がなぜあるのか?
- 亀石はなぜあるのか?
- 乳銀杏とは?
- 金運アップ?の「宝来石」
- 市杵島社(いちきしましゃ)
- 住吉社
- 天満社
- 八幡神社・神功皇后社
葛城一言主神社はどんな神社?
全国に100社ある一言主神社の総本社です。葛城山の山麓に位置しており、地元では「いちごんさん」と呼ばれ崇敬されています。御祭神は葛城之一言大神(かつらぎのひとことぬしのおおかみ)と幼武尊(わかたけるのみこと)です。
葛城之一言大神とは?
「古事記」によると、雄略(ゆうりゃく)天皇が葛城山で猟をしていたところ、天皇とお付きの者と同じ様相、所作をする者たちがやってきた。「この大和の国に我の他に二人と王はいないはずだ。同じ装束を着て歩くとは、けしからん!誰だ?」と問うと、相手の言葉も全く同じだった。天皇は怒って弓を引こうとし、お付きの者たちも弓を引こうとした。すると、相手の者たちもまったく同じ様に弓を引こうとした。怒った天皇は、「お前の名を名乗れ!そして名乗りあってからそれぞれ矢を放とうではないか。」と言いました。
これに対し相手は、「自分が先に尋ねられたので、まず自分が名乗ろう。自分は、悪いことも一言、良いことも一言、事を定めて※託宣する神、葛城之一言主之大神だぞ。」と言った。天皇はあわてて「畏れ多いことです。神様とは気づきませんでした。」と言い、身に着けていた御刀と弓矢をはじめ、お付きの者たちの衣服も脱がせて、一言主大神に献上したそうです。※(神仏が人に乗り移ったり、夢の中に現れたりして、その意思を告げること)
この話で重要なことは、天皇と同じ衣を着用することは、古代においては不敬とされていたことです。もう一つはまるで鏡に写し出された自分を見るように、相手が自分と同じ行動を取るということである。そこに神の恐ろしさが表現されているんだそうです。
幼武尊とは?
第21代天皇の雄略天皇です。大悪天皇(はなはだあしき てんのう)と呼ばれるほど残虐な天皇だったとの説があります。日本書記によると、「自分の心だけに従って、間違って人を殺していた」と記されています。その雄略天皇が、一言主大神を深く崇敬され御神徳を得られたとのことです。
アクセス方法
車では京名和自動車道・御所南ICから10分
近鉄御所駅からタクシーで10分
(画像はお借りしました)
かなり、のどかな場所にあります。
無料の駐車場がありました。
駐車場の前に蜘蛛塚があります。
蜘蛛塚がなぜあるのか?
昔、この付近で毎夜一匹の大きなクモが出て荒らしまわり、人々を困らせていた。そこへ一言主大神が通りかかり「私が捕まえてやろう」と言い、退治した。村人はその死骸を田の中に埋めたという。この時、クモの大きな牙が取り置かれ、今も神社の宝物となっているそうです。
少し行くと「亀石」があります。
亀石はなぜあるのか?
昔、役行者が災いをもたらす黒蛇を封じるために乗せた石がこの亀石だという説があります。役行者ではなく、弘法大使という説もあるとか。
まずは、祓戸社で禊を済ませます。
拝殿で参拝します。こちらでは「一言」でお願い事をします。
そして、願い事は誰にも言ってはいけないそうです。
拝殿のすぐ近くに大きな木があります。
乳銀杏です。
乳銀杏とは?
樹齢推定1200年の銀杏の老大木です。「乳銀杏」と呼ばれていて、この木に祈願すると、子宝に恵まれたり、お乳が良く出ると伝えられています。古くから子供を思う親の願いが込められた木として信仰を集めています。
境内にも祓戸社があります。
拝殿右手の方に行くと
至福の像があります。
ほのぼのとした、おじいさんとおばあさんの像です。
頭を撫でるとボケ除けになるとのこと。
さらに右手に行くと
一言稲荷大明神があります。
大昔、この葛城一言主神社のあるこの地域一帯では、砂金が取れていたそうです。今でも天気の良い日には砂金がキラキラ光っているそうです。
こちらの鳥居をくぐると、右手の方に雄略天皇像が。
そして、端の方に霊石があります。
金運アップ?の「宝来石」
端の方に鎮座している「宝来石」は、お金が貯まる!!
と信仰されています。こちらには、柵がありますので触ることができませんが、参拝は必ずされた方がいいそうです。
こちらには、これらの境内社が。
市杵島社(いちきしましゃ)
宗像三女神の市杵島姫命神を主祭神とする神社。弁財天様として親しまれる。
住吉社
ご祭神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)です。海の神様で、穢れや厄災を祓ってくれると言われています。
天満社
ご祭神は学問の神様である菅原道真公です。
八幡神社・神功皇后社
第15代応神天皇の母にあたり、神託に従い三韓征伐を成し遂げた勇ましい仲哀天皇の皇后です。危険な状況の中でも無事、応神天皇を出産し立派に育て上げたことから、安産祈願や子育大願のご利益があると言われています。日本初の紙幣の肖像としても有名です。
地元の人々はもちろんのこと、参拝客や願いが叶った後の御礼参りの人々など、全国から訪れる人が絶えない神社です。